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仙台高等裁判所 昭和60年(ネ)572号 判決 1991年5月20日

控訴人

社会福祉法人恩賜財団済生会

右代表者理事

岡田宗治

右訴訟代理人弁護士

饗庭忠男

安斎利昭

被控訴人

遠藤幸雄

右法定代理人親権者母

遠藤ツヤコ

被控訴人

遠藤ツヤコ

右両名訴訟代理人弁護士

大学一

主文

一  原判決中、控訴人の敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者双方の主張

次のとおり附加、訂正するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決三枚目裏二行目の「、看護」を「診療」に訂正し、同一〇枚目表六行目の「(2)」と「厚生省」との間に「昭和五〇年三月発表にかかる」を挿入し、同一一枚目裏一行目の「ヘイジイ・メディア」の次に「(透光体混濁)」を、同一二枚目表一行目の「変化」の次に「(色素沈着、網脈絡萎縮等)」を、同二一枚目裏六行目の「原告ツヤコは、」の次に「自ら、かつ又」を各加入し、同七行目の「被告病院が」を「未熟児として出生した」に訂正し、同八行目の「看護、」を削除し、同二四枚目表五行目の「(一)(1)のうち、」の次に「渡部医院において、昭和四六年一〇月一九日、」を加入し、同六行目の「本件」を削除し、同行目の「酸素」の次に「二五〇リットル」を、同九行目の「(二)のうち、」の次に「控訴人病院において、」を挿入し、同行目「看護、」を削除し、同一〇行目の「育」の次に「診療」を各挿入し、同行目の「酸素流量」の次に「について、小笠原医師が被控訴人幸雄に対し、昭和四六年一〇月二〇日から同月二一日まで毎分六リットル、同月二二日から同月二八日まで毎分四リットル、同月二九日から同年一一月二七日まで毎分六リットル、同月二八日から同年一二月一〇日まで毎分三リットルを各投与したこと」を加入し、同二五枚目裏七行目の「(一)」を「(二)」に訂正し、同三八枚目表一一行目「弊う」を「覆う」に訂正する。

二  控訴人の主張

1  酸素投与と本症について

未熟児の診療としては、その生命を救い、脳障害の発生を回避し、なお且つ網膜症の罹患をも阻止し得べき医療手段としての客観的酸素投与の基準は存在しない。

未熟児については、一九六三年、マクドナルドにより、酸素投与の制限されたものに神経学的異常が多かったと報告され、一九七三年、クロスらによって、アメリカ合衆国では、酸素投与の制限により、一人の子供の視力を救うために一六人の子供の命が失われたと計算されている程であり、また、最近では酸素の適切な投与にもかかわらず本症の発生は続き、本症の成因としての酸素の役割は最近再検討されてきている。また一九五六(昭和三一)年一月のアメリカ合衆国小児科学会胎児新生児委員会の酸素制限に関する勧告のもとになった一九五三(昭和二八)年〜一九五四(昭和二九)年の対照試験は現在では不完全なもので酸素濃度及び投与期間の厳密な相関を示すものではないとされ、酸素のクリティカル・コンセントレーション四〇パーセントという誤った認識が定着してしまい、長期間持続したといわれる。その後の動脈血酸素分圧Pao2を一〇〇ミリヘクトグラム未満に保つようにとの勧告も、その基礎とするデータは経験から割り出された推測値であるに過ぎない。そして、現在も、本症の原因は未解決のままであり、種々の治療法、予防法も有効との確証のないままであり、この点一九五三年(昭和二八年)当時と何ら変っていないといわれる。

以上のような知見に照らすと、昭和四六年当時において、「生命も、脳も、目も」救済可能な酸素投与基準を絶対的なものとして設定することは不可能であり、これは現在においても変りはない。

本件において、当時、被控訴人幸雄の担当医たる小笠原医師は、同被控訴人が昭和四六年一〇月一九日第一度仮死にて出生し、チアノーゼが強く生命に危険な状態で、翌日、控訴人病院に転院してきて以来、常に死の淵をさまよっていたと言っても過言でないのを、同被控訴人の救命を第一に、更に、不可逆的後遺症を残す脳性麻痺に陥らないように常に配慮して、同被控訴人に酸素投与を行ったもので、右酸素投与は当時の酸素投与療法にかなったものであった。同医師は昭和四六年一一月一五日以降も同被控訴人にチアノーゼがあったと判断し、やむなく酸素投与を継続していたものである。同被控訴人の状態は同医師が熟知しており、この点については同医師の裁量が尊重されるべきである。チアノーゼの有無その他の全身状態の診断と酸素投与の必要度の判断はもともと困難なことで担当医だけが最もよくなし得るところであり、また本件保育器内酸素濃度(当時、控訴人病院その他福島市内の病院では経皮酸素分圧測定のための装置はなく、また保育器内の酸素濃度については酸素濃度計によって算出されていた。)は、保育器自体の性能(サンリツH二八三型でプラスチック製であるが、その加工技術が良くなかったため、内部の高温多湿によりひび割れが生じていた。)及び医師・看護婦らによる児に対する種々の処置などに伴う器内酸素の流出により四〇パーセントを超えるというようなことは全くなかった筈であり、同医師は酸素投与に当りなすべき管理を尽くしている。

本症については、酸素投与期間との関係でみれば、非酸素投与群でも8.7パーセントの発生があり、一日だけの酸素投与でもすでに44.7パーセントに発生したという報告もあり、また本件当時において、本症発生の原因は、網膜とくにその血管の未熟性が基盤となり、動脈血酸素分圧Pao2の絶対的上昇によると考えられてもいたが、その基準値なるものは設定できず、(Pao2を、成熟健康新生児の空気吸入の場合のそれと同程度の六〇〜一〇〇ミリヘクトグラムの間に保持しても水晶体後部線維増殖症を防ぐ保証とはならないともいわれている。)、その測定は児の場合侵襲による負担が大きすぎるものであるところ、昭和四六年当時、控訴人病院その他福島市内病院においてもPao2を経皮的に児に侵襲の少ない方法で連続測定し得るところはなかったし、Pao2は児の状態により変動し易く、保育器内の酸素濃度と連動しないので、小笠原医師らがPao2の測定によらず保育器内酸素濃度の測定に従って昭和四六年一一月一五日以降も被控訴人幸雄に対し酸素投与をしたとしても非難し得ないものであるし、かつ又その投与と同被控訴人の失明との間に相当因果関係があるというべきものでもない。

2  眼底検査の説明・転医勧告について

被控訴人ツヤコは、被控訴人幸雄が控訴人病院に入院中ほとんど来院したことがなく、同被控訴人を同病院に預け放しにしていたのが実情で、被控訴人幸雄の診療につき、協力がなかった。しかし来院した際は、控訴人病院側はいつも指導と注意を与えていた。また被控訴人らのいう眼底検査は、本症に対する治療法とされる光凝固法や冷凍凝固法の施行の必要性及びその適期を決定するためのものであるから、これらが本症に対する有効な治療法として既に確立、定着をみていることが前提となるものというべきであるが、本件当時においては、本症に対する光凝固法、冷凍凝固法による治療はまだ有効な治療法として確立されたものではなく、したがって、控訴人病院側には光凝固法、冷凍凝固法による本症の治療を前提とする眼底検査をしたり、同検査及び右治療のための転医勧告の義務はない。福島県立医大における定期的眼底検査の実施は昭和五〇年以降であり、さらに、光凝固法、冷凍凝固法は、医療現場において緊急避難的な治療として行われてきたに過ぎず、可成り疑問のある治療方法であった。したがって控訴人病院の小笠原医師や小児科外来担当医には、被控訴人幸雄の診療につき、眼底検査の実施や転医勧告などの義務はなかった。

三  被控訴人らの主張

1  酸素管理が適切でなかったこと(本症の発症防止の措置のけ怠)

未熟児に対する酸素投与は児の生命維持や脳障害防止のためになされる治療法であるところ、昭和四〇年から同四六年の時点における産科関係文献によれば、本症は酸素投与によって発症する危険がある旨の指摘がなされており、「酸素療法の適応は呼吸障害があるとか、中心性チアノーゼが見られる場合であり、その投与方法としてはPao2を測定して保育器内の酸素濃度をコントロールするのが最も妥当であるが、その測定が困難であれば、いわゆるガードナー法(チアノーゼが消失する酸素濃度を調べ、その濃度の四分の一だけ高い濃度に維持する方法)によるべきであり、特に呼吸困難の回復期には、患児の血中酸素濃度が急激に上昇するため、酸素の過剰投与にならぬよう頻回の測定をしたり、酸素を減らして患児の状態をみるなど継続的な観察が必要であり、このような注意を払って酸素療法を行えば本症の発生を予防することが可能である」とされていた。

このことは、日本小児科学会新生児委員会の昭和五〇年二月答申、同五二年一二月一二日公表の「未熟(児)網膜症予防のための指針」においても、「低酸素症にある未熟児には救命的に酸素療法を行わなければならない。もし、酸素を投与しないときは、脳の低酸素症のために脳性麻痺などを遺すこともある。しかし、一方では酸素療法が本症を増悪することもあるので、酸素療法を行う場合には次の各項に留意しなければならない。(イ) 低出生体重児に酸素療法を行う場合には、低酸素症が明瞭に存するときに限る。低酸素症の存在は中心性チアノーゼ、無呼吸発作及び呼吸窮迫(多呼吸、呼吸性呻吟、陥設呼吸、チアノーゼ)などによって判定する。(ロ) 酸素療法を行う場合は、一日数回の保育器内の酸素濃度測定を行い、必要以上の酸素供給を行わないよう注意する。酸素流量を一時間一回点検をしておけば、同器内濃度は一日二回位測定しても充分である。ただし、流量を変えたときは、その都度同器内酸素濃度を測定する必要がある。(ハ) 高濃度の酸素療法を必要とするとき、あるいは長期にわたる酸素療法が必要なときは、酸素療法実施期間中は、適宜Pao2を測定して六〇〜八〇ミリヘクトグラムに保つようにすることが望ましい。(ニ) 酸素療法は出来るだけ短期間で中止することが望ましいが、七日以上投与しなければならないときは、Pao2の測定のほか、必ず眼底検査を行って網膜症の早期発見につとめるべきである。」などと指摘されており、厚生省特別研究費補助金昭和四九年度研究班報告「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究(昭和五〇年発表)や日本産婦人科学会未熟網膜症問題委員会による報告「本邦における未熟網膜症」などでも同様に警告していることでも明らかであって、本症発生の危険を避けるためには、酸素投与量を未熟児の生命や脳を障害しない必要最小限度に制限すべきであるとする点では一致した見解となっていた。

したがって、本件において、控訴人病院の小笠原医師としては、被控訴人幸雄に対し酸素を投与するに当たり、毎日本件保育器内の酸素濃度を測定しながら、チアノーゼや呼吸障害が消失しない場合を除き、同器内の酸素濃度を四〇パーセント以下に保ち、チアノーゼや呼吸障害が現われなくなった場合には、酸素濃度を少なくとも徐々に下げていくべきであったものというべきところ、同被控訴人に対し、昭和四六年一〇月一九日及び同月二〇日に二五〇リットルづつの酸素を投与し、同日午後三時から同月二一日まで流量毎分六リットル(酸素濃度四五パーセント)、同月二二日から同月二八日まで流量毎分四リットル、同月二九日から同年一一月二七日まで流量毎分六リットル、同月二八日から同年一二月一〇日まで流量毎分三リットルの酸素を投与した(ただし、同年一二月八日から同月一〇日までは、日中同被控訴人を同器から出したので、夜間のみ酸素を投与した。)。しかし、この間、同医師は、同器内の酸素濃度を一回も測定したことはなく、また、同被控訴人の全身状態の変化を観察し、それに応じて酸素の濃度を必要最小限度に調節するという態度もとらず、同年一一月一五日以降、同被控訴人につき、チアノーゼが全く消失し、なんらの呼吸障害も現われていなかったのに、右のとおり、長期間にわたって過剰な酸素の投与を続け、その結果、同被控訴人に本症を発生・増悪させ、失明させるに至ったものである。

したがって、同医師は、適切な酸素管理にもとづく酸素の投与をしなかったものというべきである。

2  眼底検査、転医勧告をせず、期待したような診療をしなかったこと

(一) 本件診療当時、光凝固法及び冷凍凝固法は本症の治療法としてその有効性が確立され、臨床医学の実践の場に定着し、一般的医療水準に達していたものである。したがって、控訴人病院の小笠原医師らは、被控訴人幸雄が生下時体重一六五〇グラムで在胎期間が三二週であり、長期間にわたって酸素療法をしていたのであるから、当然本症発生の危険があるから、生後満三週以降少なくとも週一回の割合で三か月まで定期的に眼底検査を実施するか、専門医に右検査を実施してもらうか、被控訴人ツヤコらに対し、その専門医の常勤する病院(県立医大病院又は東北大病院)へ転医することを説明、指導する等の措置を講ずるべきである。しかるに、控訴人病院及び小笠原医師らは、被控訴人ツヤコから、再三にわたり被控訴人幸雄の眼がおかしいのではないかと尋ねられても、「未熟児だから」とか「まかせておけ」などと回答しただけで右の訴えを無視して眼底検査を怠り、被控訴人ツヤコに対する説明や指導をせず、又専門診療のできる病院に転医させる等の措置をさせず、結局早期診断治療をせず、被控訴人幸雄を失明させるに至ったものである。

(二) 仮に、本件診療当時、光凝固法及び冷凍凝固法が本症の治療法としてその有効性が確立されておらず、一般的医療水準に達していなかったとしても、本来、患者は、医師に対して、医師の全知識・全技術を尽くした誠実な診療を受ける期待権を有するところ、控訴人病院の小笠原医師らは粗雑杜撰で不誠実な診療をし、この期待に沿った診療をせず、光凝固法や冷凍凝固法などの期待のもてる治療のための説明や転院勧告をせず、そのため被控訴人らは甚だしい精神的苦痛を被った。

第三  証拠関係<略>

理由

第一当事者

控訴人が福島市内で病院を経営し、小児科医等を雇用して医療行為に当たらせていることは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば被控訴人幸雄が被控訴人ツヤコの長男であることが認められる。

第二医療契約の締結及び被控訴人幸雄の失明

被控訴人幸雄が昭和四六年一〇月一九日午前六時三〇分渡部医院において在胎八か月で出生し、生下時体重が一六五〇グラムの未熟児であったこと、そのため、同月二〇日午後三時控訴人病院へ転医され、保育器に収容されて未熟児としての保育診療を受け、同年一二月二〇日退院したことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、右転医当日、被控訴人ツヤコは同幸雄のため、控訴人病院との間で、同病院が未熟児である被控訴人幸雄を保育診療することを目的とする医療契約を締結し、同病院が産科医小笠原及び小児科外来担当医らをして被控訴人幸雄の保育診療にあたらせたこと、被控訴人幸雄が同年一二月一七日控訴人病院で小児科外来担当医から健康診断を受けたこと、右病院退院後である昭和四七年一月一〇日頃、被控訴人ツヤコが被控訴人幸雄の眼の異常に気付き、同年三月四日頃、県立医大病院の加藤桂一郎医師に同被控訴人を診察して貰ったところ、同年四月一七日、同医師から、同被控訴人の視力の回復は困難であり、本症に罹患した疑いがある旨診断され、さらに、同月二四日頃、東北大病院山下由紀子医師に同被控訴人の診察を依頼した結果、同医師から、同被控訴人は本症によって両眼とも失明していると診断されたことが認められ、これに反する証拠はない。

第三被控訴人幸雄の症状と診療経過

一渡部医院において

1  <証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人幸雄は、昭和四六年一〇月一九日午前六時三〇分在胎八か月生下時体重一六五〇グラム第一度仮死にて出生、直ちに蘇生術施行、チアノーゼ著明のため酸素吸入し、エホチールを六時間毎注射児心音微弱となる。保育器に収容、酸素二五〇リットルを投与、翌二〇日午後三時まで時々チアノーゼ出現、エホチール六時間毎注射、さらに、同量の酸素を投与したことが認められる。

二控訴人病院において

昭和四六年一〇月二〇日午後三時から同年一二月二〇日退院までの期間被控訴人幸雄の保育診療の担当医師が産科医小笠原であったこと、同医師が、同被控訴人に対し、酸素投与をしたこと、投与した酸素流量が同年一〇月二〇日午後三時から同月二一日まで毎分六リットル、同月二二日から同月二八日まで毎分四リットル、同月二九日から同年一一月二七日まで毎分六リットル、同月二八日から同年一二月一〇日まで毎分三リットルであることは当事者間に争いがなく、この事実及び<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められ、<証拠略>は採用し難く、他にこれを左右するに足る証拠はない。

1  産科医小笠原による診療経過

(一) 昭和四六年一〇月二〇日(生後一日目)午後三時控訴人病院に転医し、当時、体重一六五〇グラムで、皮膚黄疽、口腔舌苔、鵞口蒼、吃逆、皮膚紅斑、湿疹、出血、嘔吐等はなかった(−)が、皮膚蒼白色で呼吸促迫し(+)、四肢チアノーゼがあり(+)、看護婦定間二回(二〇時、二三時)、啼泣力不良(+)、哺乳力不足(+)、元気不良(+)、皮膚蒼白色(+)で生命が危ぶまれる状態であった。ビクシリンS(感染予防のための抗生物質)、テラプチク(呼吸促進剤)、グロンサン糖(強肝剤)、ビタカン(心臓強化剤)を施用し、保育器(サンリツH二八三型)(以下「本件保育器」という)に収容して、酸素流量毎分六リットル転院後投与続行九時間。

(二) 一〇月二一日(生後二日目)(看護婦定間二時、五時、八時、一一時、一四時、一七時、二〇時、二三時の三時間毎。同日以降、同年一一月一七日定間六時間に変更されるまで毎日三時間)

皮膚蒼白色は改まった(−)が、依然として四肢チアノーゼがあり(+)、啼泣力不良(+)、哺乳力不足(+)、元気不良(+)、経鼻腔チューブによる強制栄養(五回)、流量毎分六リットルの酸素投与続行二四時間。体温三五、四度、体重一六〇〇グラム

(三) 一〇月二二日(生後三日目)

皮膚チアノーゼがあり(+−)、啼泣力不良(+)及び哺乳力不足(+)、元気不良(+)、全身浮腫(++)、強制栄養続行(八回)。酸素流量を毎分四リットルに減じて投与続行二四時間。体温三七度、体重一六二〇グラム。

(四) 一〇月二三日(生後四日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、啼泣力不良(+)及び哺乳力不足(+)、元気不良(+)、強制栄養続行(五回)、同量の酸素投与続行二四時間。体温三五、二度ないし三六、九度、体重一五五〇グラム。

(五) 一〇月二四日から同月二八日まで(生後五日目から九日目まで)

この間、皮膚チアノーゼ(+−)、啼泣力不良(+)、哺乳力不足(+)、元気不良(+)、強制栄養続行(これは、同年一二月三日まで毎日八回割合で続行、同月四日以降自力哺乳)。同年一〇月二八日には脱水症状が現われたためグロンサン糖ビロラーゼを注射した。毎日流量毎分四リットルの酸素投与続行二四時間。体温三六度ないし三六、七度、体重は同月二五日から同月二八日にかけて一四〇〇グラムに落ち込んだ。

(六) 一〇月二九日(生後一〇日目)

啼泣力不良(+)、哺乳力不足(+)、元気不良(+)、チアノーゼが増強し(+−)、投与酸素流量を毎分六リットルに増量して投与続行二四時間。強制栄養続行、体温三六、四度ないし三六、六度、体重一四五〇グラム。

(七) 一〇月三〇日(生後一一日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、啼泣力不良(+)、哺乳力不足(+)、元気不良(+)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、八度ないし三七、三度、体重一四五〇グラム。

(八) 同月三一日(生後一二日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、哺乳力不足(+)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、六度ないし三六、八度、体重一四六〇グラム。

(九) 同年一一月一日(生後一三日目)

引続き皮膚チアノーゼ(+−)があり、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、三度ないし三八、四度、体重一四八〇グラム。

(一〇) 一一月二日(生後一四日目)

チアノーゼ増強した(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、四度ないし三六、八度、体重一六〇〇グラム。

(一一) 一一月三日から同月五日まで(生後一五日目から一七日目まで)

皮膚チアノーゼ(+−)、哺乳力不足(+)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三五、八度ないし三七、三度、体重一五六〇グラムないし一五八〇グラム。

(一二) 一一月六日(生後一八日目)

チアノーゼ(+−)、特に体動時には増強(+)、生命の危険な状態、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、六度、体重一六〇〇グラム。

(一三) 一一月七日から同月一〇日まで(生後一九日目から二二日目まで)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三五、八度ないし三七、四度。体重一六〇〇グラムから一六九〇グラムに増加、この間、同月八日には生下時体重と同じ一六五〇グラムに戻った。

(一四) 一一月一一日(生後二三日目)

チアノーゼ(+−)特に体動時にチアノーゼ増強し(+)、生命危険な状態、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、八度ないし三七、二度、体重一七三〇グラム。

(一五) 一一月一二日(生後二四日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、全身浮腫が現われ(+)、心肺機能、肝・腎臓全体の機能の低下懸念、生命の危険な状態、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、六度ないし三七、三度、体重一七四〇グラム。

(一六) 一一月一三日及び同月一四日(生後二五日目及び二六日目)

皮膚チアノーゼ(+−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、同量の酸素投与続行二四時間。体温三六、〇度ないし三七、〇度。体重一七六〇グラムから一八六〇グラムに増加。

(一七) 一一月一五日から同月二七日まで(生後二七日目から三九日目まで)(看護婦の定間、同月一七日は二時、五時、八時、一一時、一七時、二三時、以後同月末頃まで定間毎日五時、一一時、一七時、二三時の六時間毎に変更指示)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不足(+)、強制栄養続行、体温三六、〇度ないし三七、三度、体重一八四〇グラムないし二三五〇グラム、すなわち皮膚チアノーゼは出現せず、流量毎分六リットルの酸素投与続行二四時間。

(一八) 一一月二八日から同年一二月二日まで(生後四〇日目から四四日目まで)(一二月一日から看護婦の定間一二時間おきと変更指示)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(+)、強制栄養続行、体温三六、〇度ないし三七、三度、体重二四〇〇グラムないし二五一〇グラムに増加。すなわち皮膚チアノーゼは出現せず、啼泣力も良くなった。そして、同年一一月二八日元気良好、チアノーゼは完全に現われなくなったが、環境に順応させるため、なお酸素を流量毎分三リットルに減量して投与続行二四時間。

(一九) 一二月三日(生後四五日目)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、強制栄養続行、体温三六、六度ないし三七、〇度、体重二五四〇グラム、酸素同量投与、すなわち、皮膚チアノーゼは認められず、啼泣力、哺乳力及び元気ともによくなったが、なおも右栄養補給を続行し、流量毎分三リットルの酸素投与続行二四時間。

(二〇) 一二月四日(生後四六日目)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、強制栄養中止(自力哺乳可能となる)、体温三七、〇度ないし三六、〇度、体重二五五〇グラム、同量酸素投与、すなわち、皮膚チアノーゼは認められず、啼泣力、哺乳力及び元気ともよく、自力で哺乳できるようになったので、右栄養補給を中止したが流量毎分三リットルの酸素投与続行二四時間。

(二一) 一二月五日から同月七日まで(生後四七日目から四九日目まで)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、体温三六、二度ないし三七、〇度、体重二五八〇グラムないし二六五〇グラム、同量酸素投与、すなわち、皮膚チアノーゼは認められず、啼泣力、哺乳力及び元気ともよかったが、流量毎分三リットルの酸素投与続行二四時間。

(二二) 一二月八日から同月一〇日まで(生後五〇日目から五二日目まで)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、体温三六、七度ないし三七、〇度、体重二七一〇グラムないし二七五〇グラム(ただし同月九日は二八〇〇グラム)、夜間のみ保育器に収容、すなわち、皮膚チアノーゼは認められず、啼泣力、哺乳力及び元気ともよく、自然環境に慣らすため、日中だけ本件保育器から外に出し、夜間は同器に収容、収容中は流量毎分三リットルの酸素投与を続行した。同月九日に風邪をひき鼻汁があった。

(二三) 一二月一一日(生後五三日目)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、体温三六、八度ないし三七、四度、体重二八〇〇グラム、鼻汁(+)、酸素投与中止、すなわち、皮膚チアノーゼの出現は認められず、啼泣力、哺乳力及び元気ともよかったが、鼻汁があった。同日以降酸素の投与を完全に中止した。

(二四) 同月一二日から同月二〇日(退院)まで(生後五四日目から六二日目まで)

皮膚チアノーゼ(−)、元気不良(−)、啼泣力不良(−)、哺乳力不良(−)、体温三六、六度ないし三七、四度、体重二七五〇グラムから三一〇〇グラムに増加、酸素の投与をせず。

2  小児科外来担当医による診察

右担当医は、昭和四六年一二月一七日被控訴人幸雄の健康診断をし、被控訴人ツヤコに対し「未熟児は一般的に弱いから充分注意するように」と指示した。また、その後、被控訴人幸雄について、昭和四七年一月一四日健康診断をし、また、風邪症状のため、同月三一日及び同年二月一日同被控訴人を診察し、この間、被控訴人ツヤコから被控訴人幸雄の眼の異常を訴えられたときも、被控訴人ツヤコに対し、前同様の指示をしたに止まった。

第四本症に関する医療の現状(当時)

次に附加・訂正するほか原判決理由第四の一ないし七(原判決五六枚目表三行目の「第四」から同七〇枚目裏七行目末尾まで)を引用する。

一原判決五六枚目表六行目の「同第八一号証」から同裏三行目の「第一六四号証」までを「<証拠略>」と改める。

二同五八枚目裏二行目の「出され、」の次に「また、一九五六(昭和三一)年アメリカ合衆国小児科学会胎児新生児委員会が酸素制限による本症根絶の可能性について勧告を行い、」を、同九行目の「ところが、」の次に「右のように酸素投与が制限されるようになった一九五五(昭和三〇)年にアメリカ合衆国の新生児死亡率は初めて前年を上回るに至り、また、」を各加える。

三同五九枚目表七行目の「懸念された。」の次に「一九六三(昭和三八)年マクドナルドは、極小未熟児として生まれた子供を六〜八歳のときに調べたところ、酸素投与が制限されたものに神経学的異常が多かったと報告した。」を、同一一行目の「問題点」の次に「((イ)酸素投与の基準 (ロ)酸素療法を受けた乳児の臨床的徴候、動脈血酸素分圧値の測定、眼底所見との関連等(ハ)環境酸素濃度看視装置の改善の必要性 (ニ)適切な観察がなし得ない場合の酸素使用に関する警告の必要性 (ホ)血管運動を支配する因子についての基礎的研究の必要性等)」を各加える。

四同五九枚目裏七行目の「されている。」の次に「しかし、最近では、「前記小児科学会胎児新生児委員会の勧告等により、当初、投与酸素濃度を四〇パーセント以下に抑え、次いで、経皮酸素分圧を一〇〇ミリヘクトグラム未満に調整する努力が重ねられているのにかかわらず、ここ数年来より極小の未熟児が救命されるにつれ厳格な投与酸素の調節のみでは本症を予防できないことが判然としてきた。さらに重要なことは、右勧告のもとになった一九五三(昭和二八)年〜一九五四(昭和二九)年の対照試験は、酸素療法の異なる二群間で本症の危険に差があるか否かのみを問うだけのもので、他の重要な問題(酸素濃度の程度、投与期間の長短等)について厳格な対照試験を行ったものではなく、また、経皮酸素分圧を一〇〇ミリヘクトグラム未満に保つようにとの勧告も、その基礎となるデーターはテストで実証された値ではなく、経験から割り出した推測値に過ぎない。したがって、酸素により本症の危険がどの程度増大するかについては、右試験の時も、また現在においてもわかっていない。」との見解や「本症の発生原因は、酸素だけが唯一のものではなく、未熟児の持っている未熟、高酸素症、低酸素症、輸血、脳室内出血、無呼吸、感染、高炭酸血症、低炭酸血症、動脈管開存、プロスタグランディン合成阻害剤、ビタミンE欠乏、乳酸アシドーシス、出生前合併症、遺伝など種々の因子が作用し合って種々の程度の網膜障害をもたらすものである。」との見解等が唱えられている。」を各加える。

五同六一枚目裏一〇行目の「説明されている。」の次に「しかし、Pao2がどの程度までなら大丈夫なのか、網膜はどの位の時間なら高いPao2に耐えられるのか等は未だ解明されていない。しかも、実際には、網膜のPao2を測定することができないため、他の末梢動脈血を採血してPao2を測定することになるが、これとて、他の場所の動脈血のPao2であって、その値が網膜での動脈血のPao2を表わしてはいない。現在、経皮的に血液酸素分圧測定器が開発され、新生児に対し侵襲が極めて少なく連続的にPao2を測定することができるようになったため児のPao2を容易に測定できるが、これによると、未熟児のPao2の変動は非常に大きく、環境酸素濃度の変化ばかりでなく、体位、授乳などのありふれた条件の変化でも容易に変動すること、つまり、動脈血酸素分圧は変動の幅がかなりあることがわかってきた。」を加える。

六同六七枚目裏四行目の「症例が、」の次に「昭和四五年ないし四六年頃に発見されたⅡ型の本症ではなく、」を加える。

七同六八枚目表二行目の「そして、」を「かくして、Ⅰ型及びⅡ型の本症に対する光凝固法又は冷凍凝固法の適応性、施行時期等に関する診療基準の確立が要請されるに至った。そこで、」と改める。

第五本件診療当時における未熟児保育医療の水準(未熟児に対する臨床医学の実践における医療水準)

一人の生命及び健康を管理すべき医療行為に従事する医師は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求される。そして、その基準となるのは、一般的には診療当時の臨床医学の実践における医療水準である。すなわち、医師は、一般的に右水準に則って診療をなすべき注意義務を負担し、又右水準に応じた診療を尽くすべき一般医療契約上の債務を負担しているものといわなければならない。そして医師が自ら右水準診療ができないときは、その診療可能な病院等に転医勧告をするなどしなければならない注意義務を負い、又、医療契約上の債務を負担しているといわなければならない。そして、右にいう医療水準とは、臨床医学の専門的研究者が仮説を提唱し、右仮説が種々の医学的実験、追試を経て、その当時としては有効であることが確認され、臨床医学の実践の場に定着するに至った医療の水準を指称する。

しかし、臨床医学も実証的経験科学ではあるが、究極的最善を求めることは事の性質上当然であるから、この水準も時の経過と共に変動する筈である。また絶対完全治癒(本件では予防も含む)を前提とした医療水準でもない。その診療当時において、臨床医学の実践の場で一般的普遍的によしとされている水準をいうものと理解されねばならない。

二そこで、本件診療当時(昭和四六年一〇月から昭和四七年二月まで)における未熟児医療に関する右医療水準につき検討するに、前記認定の事実(第四)及び<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

1  未熟児は呼吸機能が未発達であるため、呼吸障害に陥り酸素不足のため死亡し又は脳障害を起こす危険があり、これらの防止のために、児に酸素投与が必要であるが、他方酸素投与が本症の誘因となるため、その投与制限が必要となり、この二律背反の要求をいかに調整するべきか、換言すれば、未熟児の保育診療を担当する医師は、児の救命、脳障害防止のため酸素投与をしなければならないが、同時に本症の発症の誘因となる酸素投与について制限をして、その発症を阻止しなければならないこと、そして、そのための酸素管理について、本件診療当時、未熟児の保育医療を担当する産科医、小児科医等を対象として出版された医学文献には、未熟児特に極小未熟児に対する保育診療に当って、児にチアノーゼや呼吸窮迫がみられる場合は、その救命及び脳障害を予防するため酸素投与をしなければならないが、この場合ルーチンに酸素を投与していたのでは、本症が発症する。そして本症は環境酸素濃度が高く、酸素投与期間が長い程その発症率が高いとして、投与酸素濃度及び投与の期間の両面から未熟児に対する酸素の過剰投与を戒め、本症に対する発症予防と、児の救命、脳障害の防止の三つの保育医療の目的を達成しようとして、①出生直後の数日間を除いては、未熟児だからといって、慣行的に酸素を投与すべきではない、②酸素投与は濃度四〇パーセント以下に保つことを原則とし、③保育器内の酸素濃度を四〇パーセントにしてもチアノーゼの出現や呼吸障害が消失しない児に対しては、それらが消滅するまで酸素濃度を高めて投与を続け、④児にチアノーゼが出なくなったり、呼吸障害が消失した場合には、投与を中止すべく酸素濃度を徐々に下げていく、(もっともこの点については、酸素投与を速やかに中止するという見解と酸素濃度を徐々に下げていくという見解がまだ相半ばしていた。)⑤いずれの場合も酸素投与中は一日数回保育器内の酸素濃度を測定するなどの指針が示されていた。そのため、右指針は、本件診療当時、未熟児の保育診療に携わる産科医、小児科医等一般の臨床医間に普及し、共通の認識となっていて、当時としては未熟児保育医療の最良の方法として定着し、これに基づく診療が実践されていたこと、すなわち、右指針が本件当時における未熟児保育医療の臨床医学の実践における医療水準であった。もっとも、当時本症は、酸素濃度を四〇パーセント以下に保って投与したり、酸素を全く投与しなかった場合でも発症したという例が報告されていたことから、専門的研究者の中には、本症は未熟児の環境酸素濃度よりも網膜の動脈血酸素分圧と相関々係があるのだという見解を唱え、酸素投与はPao2を測定しながらその値を一〇〇ミリヘクトグラム以下に維持してなすべきであるとするものもいたが、本件診療当時には今日のように児に侵襲なくこれを測定する方法もなかったこともあって、右のような知見及び方法は未だ一般の臨床医間には普及しておらず、臨床上の実践はなされておらず、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準とはなっていなかった。

しかし、当時、酸素濃度を四〇パーセント以下に保って酸素投与したり、酸素を全く投与しなかった場合でも本症の発症をみた例があったり、本症が生下時体重二〇〇〇グラム以下の未熟児(特にいわゆる極小未熟児)に発症することが多いということ、今日では新生児の経皮酸素分圧Pao2は動脈血酸素分圧Pao2とほぼ同値であることから、児に格別の侵襲もなく連続的に経皮酸素分圧をモニターしながら、これを六〇ミリヘクトグラムないし八〇ミリヘクトグラムに保持するようにするなど、厳重な酸素投与の管理ができるようになったが、なお依然として本症の発症がみられる(重症瘢痕を残す例は少くなった)という報告もあり、現在では、本症は児の未熟性に基因するが、酸素投与のほか諸々の因子がその誘因となっていると考えられているなど、こうしたことからすると、本件診療当時に最良として、臨床医学の実践における医療水準となっていた前記指針による酸素投与の濃度及びその期間の長短は本症の発症に重大な影響を及ぼすとはいえ、このことだけから本症の発症が左右されるものだとはいえないこと、すなわち、本件診療当時によしとされた前記医療水準による酸素投与であっても、なお本症の発症をみることがあり、この点右水準自体なお完全無欠なものとはいえないのである。

2  本症に対する治療方法としては、光凝固法、冷凍凝固法があり、また本症の早期発見とその治療適期の診断は(定期的)眼底検査によるが、右治療方法及び検査は本件診療当時は未だ臨床医の実践の場では一般的に普及しておらず、臨床医学の実践における医療水準とはなっていなかったことは、次に付加訂正するほか、原判決七二枚目裏一〇行目冒頭「光凝固法」以下同七八枚目裏末行末尾まで及び同七九枚目表五行目「眼底検査」以下同枚目裏末行末尾までのとおりであるから、これを引用する。

(一) 同七八枚目表一行目「右(1)ないし(3)の状況及び前掲各証拠を総合すると」を「以下のとおりであって」に改め、同裏四行目の「(三)」を削る。

(二) 同七九枚目裏一行目「これに」の次に「光凝固法や冷凍凝固法などの」を挿入し、同裏二行目の「(二)」を削る。

(三) 本症の治療法として、光凝固法及び冷凍凝固法が有効であり、又その実施適期診断のための眼底検査が、ともに一般臨床医間において普及し、実践されるに至ったのは、昭和四九年度厚生省研究班報告により右が本症に有効な診療であると発表された昭和五〇年三月頃以後であって、本件当時はまだ右診療方法は臨床医学の実践における医療水準とはなっていなかった。

第六控訴人病院における診療の適否

一小笠原医師の酸素投与について

1  <証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、本件診療当時、控訴人病院の産婦人科医長をしていた小笠原医師は、被控訴人幸雄が控訴人病院に転医された当時、本件保育器(プラスチック製、昭和四一年八月設備、サンリツH二八三型一部ひび割れあり)に収容したが、チアノーゼが強く現われ、生命が危険な状態にあったので、救命を第一として、酸素を投与することにしたが、本件保育器内の酸素濃度は、濃度計による計測の結果、酸素流量毎分六リットルの場合が約四〇ないし約四五パーセント、同じく毎分三リットルの場合が約三八パーセントであったこと、しかし、同器について、実際には、本件診療期間中、小笠原医師や看護婦が同器の絞り付き処置窓から内部に手を挿入して被控訴人幸雄に対し、回診(一日一回の割合で一〇分以上)、おしめ交換(一日八回の割合で三時間ごとに各三分ないし五分)、授乳(一日八回の割合で三時間ごとに強制による栄養補給各五分ないし一〇分、経口による栄養補給二〇分ないし三〇分)、検温、呼吸等の全身観察(一日四回以上の割合で各五分ないし一〇分)、体重測定(一日一回の割合で一〇分)等種々の診察、看護行為をしていたため、その都度、同器内の酸素が外気と混和していく状況にあったうえ、同器は古い型で性能が悪くその上にひび割れが生じていたこともあって、同器内の実際の酸素濃度は、右関係者の措置の都度一時的に右数値よりも低い状態になったであろうということ(もっとも、ひび割れのある保育器を使用したということは余り褒められたことではないが)などが認められる。

2 そこで、右のことも考慮に入れた上、小笠原医師の前示(第三の二の1)診療にかかる酸素投与が本件診療当時の前記医療水準に照らして、どうであったかをみてみるに、同医師の昭和四六年一〇月二〇日以降同年一一月一四・五日頃までの間の酸素投与による診療は、被控訴人幸雄のチアノーゼ及び浮腫の出現その他の症状に応じて、きめこまかく酸素流量と濃度を加減して投与しており、当時の医療水準に十分に適応してなされていたと認めることができるが、同月一五・六日頃以降同年一二月一一日投与中止までの間における酸素投与は児にチアノーゼの出現のおそれはなくなったし、その他格別不安な症状も示しておらず、生命と脳障害の危険も去ったと認められ、而も同年一〇月一九日出生以来長時間(渡部医院での投与も含め)にわたり、酸素投与を続けて来たことを慮ると加剰であり、同年一一月二八日以後は流量毎分三リットルに減量しているとはいえ、もっと早く、即ち同月一五・六日頃以後は中止又は少くとも減量すべきであって、右水準に適応した診療であったとは認め難い。他に格別の事情も認められないので、これをもって古いパターナーイズムの下ではともかく、現代では小笠原医師の裁量の範囲内であるなどとして片附けるわけにはいかない。

しかしながら、未熟児の保育医療における当時の臨床医学の実践における医療水準が、当時としては最良ではあっても、なお完全無欠ではなく、同水準による保育診療をし、その結果、児の救命と脳障害の防止を実現することができても、なお一方では、本症の発症がみられる場合のあることは前述のとおりであることからすると、右水準どおりの酸素投与をなしたとしても、なお本症が発症しないとは限らないし、被控訴人幸雄の出生時の前示のような状態と、その後昭和四六年一一月一四・五日頃までの経過及び措置(渡部医院から通じてなした酸素投与の期間・量)特に同月一一・二日(生後二三・四日目)になってもなお中心性チアノーゼが増悪し、生命の危険もあると診られたことなどからすると、被控訴人幸雄は小笠原医師の同月一五・六日頃以降の酸素投与の如何にかかわらず本症に罹患したであろうことが容易に認定できる。

そうであるとすると、被控訴人幸雄の本症罹患は小笠原医師(即ち債務者控訴人)の責に帰すべからざる事由による(責任阻却)ものであって、控訴人において本件保育医療契約上の債務不履行の責任があるとはいえない。また小笠原医師の同月一四・五日頃までの酸素投与の措置は保育診療として正当で何らの違法もないし、同日頃以降の右投与については、本症発症との間に特に因果関係があると認めるべき立証がないことに帰し、結局小笠原医師の被控訴人幸雄に対する酸素投与は前後を問わず不法行為を構成するものではなく、控訴人は民法七一五条による使用者責任を負担するものでもない。

二眼底検査及び本症の治療について

1 未熟児に対する眼底検査は、前記のとおり、本件診療当時、検査自体に技術的危険性・困難性が伴っていたこと等のため、未だ一般の臨床医間に実践としては普及しておらず、定期的眼底検査は控訴人病院はもちろん、県立医大病院でも実施されていなかったばかりでなく、控訴人病院を含めた近隣地の病院においても、未熟児の眼底検査を実施しておるところはなく、当時としては、臨床医学の実践における医療水準になっていなかったのであるから、本件診療に当り控訴人病院の小笠原医師及び小児科(外来)担当医において、眼底検査の実施をすべきであったとか、県立医大病院等その検査のできる眼科医に依頼し、又は転医を被控訴人ツヤコに説明勧告すべきだったなどとは認め難い。また眼底検査は、本症に対する光凝固法及び冷凍凝固法という治療の施行の必要性及びその適期を決めるために行われるべき診断方法であって、それ自体何らの治療効果もないわけであるから、臨床医学の実践における医療水準として、光凝固法及び冷凍凝固法が本症の有効な治療法として確立されることによって、初めて眼底検査の実践及び依頼等すべきであることになるところ、前記のとおり、本件診療当時、光凝固法及び冷凍凝固法は、当時の臨床医学の実践における医療水準としては本症の有効な治療法として確立されていたものとは認められないから、この点からも、控訴人病院の小笠原医師及び小児科外来担当医において、被控訴人ら主張のような眼底検査を実施したり、実施のため他の病院等に依頼し又は被控訴人ツヤコに対し、転医すべき旨説明勧告をするべきであったなどというわけにはいかない。

2 光凝固法又は冷凍凝固法実施のために被控訴人幸雄を東北大病院の眼科医へ転医させるべきであったし、そのために右実施について被控訴人ツヤコに対し、右説明・指導勧告をするべきであったかどうかについても同様に右治療法の実施が本件当時、臨床医学の実践における医療水準として有効性が確立されていなかったのだから、控訴人病院の小笠原医師及び小児科外来担当医らにおいて、右治療法実施のために転医勧告等をすべきであったなどというわけにはいかない。

被控訴人らは、本件における転医・説明・指導義務については、本件診療当時、光凝固法及び冷凍凝固法が、当時の医療水準に照らして、本症に対する治療法としてその有効性が確立されていなかったとしても、これにつき、専門的研究者による追試報告が相当数行われ、その有効性について好意的・賞賛的評価がなされていたのであって、このような状況のもとにおいては、小笠原医師及び小児科外来担当医は、被控訴人ツヤコに対し、右治療法等に関して説明・指導をし、被控訴人幸雄をして、当該専門分野に属する臨床医による治療を受けさせる機会を与えるべきであった、という趣旨の主張をしている。

しかしながら、当該専門分野に属する医師の中の信頼に値する医師らによって有効なものと承認されたが、未だ、臨床医学の実践における医療水準に達していない新たな診断・治療方法は、後日、この分野における医学や医療の研究・実施の過程で、その有効性を否定され、あるいは、患者に対して後遺症等なんらかの悪影響を及ぼすこと等が実証されるに至ることもありうる。そうして、患者側において特に予め危険のあることも承知で当該診療(実験的先端医療のごとし)を依頼するなどの特別例外の場合でない限り、医療者側にはこれを実施することは勿論のこと、その説明や勧告をなすべき義務もない。こうしたことに鑑みると、被控訴人らの右主張を肯認するわけにはいかない。

被控訴人らは、一般に、医師は医療水準の如何に拘らず、患者らの期待に沿って真摯かつ誠実な医療をなすべきであるのに、本件控訴人病院の医師らは被控訴人らの期待を裏切って粗雑・杜撰で不誠実な医療をした旨主張するが、これを肯認するに足るような事情は認められない。

第七結論

以上によれば、被控訴人らの控訴人に対する本訴請求は、その余の点につき判断をするまでもなく、いずれも理由がないので、すべて棄却すべきであるところ、これと異なり、被控訴人らの請求の一部を認容した原判決は失当であるからこれを取り消し、被控訴人らの請求をいずれも棄却することとし、民訴法九六条、八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三井喜彦 裁判官岩井康倶、同松本朝光は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官三井喜彦)

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